4月3日、宮崎神宮で「宮崎神宮神武天皇祭 古神事流鏑馬(やぶさめ)」が行われた。流鏑馬とは何か? 宮崎神宮の資料にはこう書かれている。
神事流鏑馬は鎌倉武士の装束に身を固めた騎馬武者たちが、馬を疾駆して大弓で的を射る古神事です。新緑の神苑にくり広げられる勇壮華麗な春のこの神事は、さながら一幅の絵を見るように、なつかしい国振りの歴史を再現してくれます。古く、日向の国は(中略)良駿の産地でありました。流鏑馬の発祥はつまびらかではありませんが、神武天皇さま御東遷前の故郷で、古来敬神尚武の気風篤く、古武道精神の精髄ともいうべき流鏑馬が盛大に催されたことは当然でありました。 さらにはこうも書かれている。
神武さまの流鏑馬は昭和15年、紀元2600年を慶祝して復興されましたが、中世の頃には、秋のみのりの豊穣に湧き立つ農民たちが、大勢集って「ヤクサミ」という競べ馬を催す神事に変化しておりました。天保年間に高木正朝という紀伊の国人が著した『日本古義』に(中略)すでに草競馬に変化していたことがうかがわれますが、花の武道精神と土の匂いのする農耕のみまつりがめでたく結びついた、我が国ぶりの神事であるといわなければなりません。 流鏑馬は神事として各地で行われている。かつては鎌倉武士の訓練であったし、相撲と同じ「日本古来のスポーツ」でもある。疾駆する馬の上で体勢を維持し、弓を持ちながら矢を準備し、そして的に当てるというのは容易なことではない。
さて、今年の宮崎神宮流鏑馬。昨年のような「桜回廊の馬場」ではなかったけど、桜吹雪が舞うなかでの流鏑馬となった。平日ながらギャラリーはたくさん。外国人が多かった。 宮崎神宮の流鏑馬は220mの直線馬場で、3つの的を射る。射手は男性だけでなく女性や子供も。衣装は鎌倉武士が狩りを行うときのもの? 馬は軽種もいれば重種もいる。直線馬場に沿って、的の反対側にギャラリーがずら~と並んでいる。的が当たると「わぁ!」と拍手が起きていた。 上手い射手は馬を疾駆させ、勢い良く的を破る(板に張った紙がパッと舞う)。子供は馬をゆっくり走らせても準備に手間取って、矢がポロリと落ちる(ちゃんと射る子供もいる)。落馬する人もいた。練習はいつどこでやってるのだろう? テントでは昨年の当たり的を御守として1000円で売っていた。今年の当たり的は来年使われる。

【もっと詳しい昨年のレポート】 宮崎神宮流鏑馬(てるKUNのよもやまBLOG)
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