照屋の宮崎スポーツblog(略称:てるスポ)
宮崎市在住のフリーライター・照屋による、宮崎県のスポーツサイト。自分の本音を添えて、リアルに伝えます。
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宮崎市在住のフリーライター。高校までサッカー、16年前までムエタイをやっていた。最近は四股50回が日課。

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令和三年大相撲三月場所の感想
 宮崎県出身力士とは別に、令和三年大相撲三月場所の感想を。

【照ノ富士】
 素直に凄いと思う。怪我で大関から陥落して序二段まで落ちたのに、幕内に復帰した場所で優勝して、4場所後に再び優勝して大関復帰(三役として直近3場所で36勝)を決めたのだから。空前絶後。「凄い」という言葉では物足りない。
 ただ、今場所の相撲内容には不安を覚えた。強引な取り口に見えたからだ。脇も甘い。膝に爆弾を抱えているだけに、来場所以降が気がかりではある。正代に勝ったような相撲なら安心できるが…。

【高安】
 自分を何とも言えない気分にさせてくれたのが高安。10日目の時点で9勝1敗で、他を2勝リードして優勝争いの単独トップに立っていた。自分は思った。「大関では優勝できなかったけど、千載一遇のチャンスじゃん」と。
 ところが、そこから1勝4敗。11日目に負けた相手は大関の正代だったが、12日目以降は平幕だ。「オイオイ…」である。
 自分は高安の兄弟子・稀勢の里(現在の荒磯親方)を思い出した。稀勢の里という力士は、プレッシャーがかかると肝心な取組で負けてばかりいた。「ノミの心臓だなぁ」と呆れるほどに(逆に、ノンプレッシャーだと強い。白鵬の連敗を止めたように)。そんな稀勢の里が、外国人力士ばかりが優勝していた頃(2012年五月場所)に11日目の時点で他を2つリードして単独トップに立ったことがある。ところが、12日目から1勝3敗。まさかまさかで優勝を逃した(優勝したのは旭天鵬)。「稀勢の里らしいなぁ…」と当時はガックリきたものだ。そういうところまで、高安は似なくてもよいのに…と思う。

【大関】
 正代と朝乃山、貴景勝に限らずそうなのだが、ここ10年ほど、大関になるとみんな弱くなるのはなぜなのだろう(横綱に上がった力士は除く)。大関は期待を裏切ってばかりだ。白鵬が引退したら、どうなるのだろうか…。
 千秋楽の大関対決で正代が負けて、負け越したのは驚いた。「忖度は無いんだ」と思った。うれしくなった。
古賀稔彦さん
 1992年バルセロナオリンピックの柔道71kg級で金メダルを獲得した古賀稔彦さんが、3月24日に亡くなられた。享年53歳。
 古賀さんの訃報をを目にしたとき、自分はただ、ただ驚いた。

 自分にとって、古賀さんは「かっこいい柔道家」だった。バルセロナオリンピックでは、練習で負傷しながら金メダルを獲得。1990年の全日本柔道選手権では、無差別級の大会にも関わらず決勝まで進んだ(決勝で敗れた相手が小川直也)。
 爽やかな出で立ち、清々しい立ち振舞、そして鮮やかな柔道に自分は魅了された。2004年のアテネオリンピック、女子の63kg級で谷本歩実が金メダルを決めた後に喜び合っていた姿も印象に残っている。

 そんな古賀さんにお会いしたことが1回ある。
 以前、某製薬会社が年に1回、スポーツ関係者を招いた講演会を宮崎県で開催していた。ゲストで来たことがあるのはプロ野球の古葉竹識さん、バレーボールの益子直美さんら。業界関係者でもない自分は、薬剤師の野辺くんに付いていつも参加していた。
 古賀さんの講演がいつだったか、どのような内容だったか、はっきりとは憶えていない。憶えているのは、「柔道は4年に1回しか注目されないから」と苦笑いしながら語っていたこと、質疑応答で自分の前にいた人を指名したことぐらいだ。
 野辺くんと古賀さんのことを話していたら、「古賀塾の教えみたいなことが印象に残っている」と口にした。気になって調べたのが「古賀塾の五訓」だ。古賀さんの公式サイトによると、稽古前に唱和しているらしい。
一、「はい」と言う素直な心
一、「ありがとうございます」と言う感謝の心
一、「私がします」と言う奉仕の心
一、「すみません」と言う反省の心
一、「おかげさま」と言う謙虚な心

 人として生きていくうえで、何歳になっても心がけたい教えだ。とても心に沁みるし、この教えを実践していかなければいけないと思った。穏やかな笑顔で、丁寧な語りで講演してくださった古賀さんの姿が思い出される。
 古賀稔彦さん、ありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます。
更地のままのオーシャンドーム跡地
 2020年1月29日。横浜F・マリノスとセレッソ大阪のTMを観に行った。どちらも主力が出ていたが、選手がゴロゴロ変わったところで帰った。
 帰りに、オーシャンドームの跡地に初めて寄ってみた。広大な更地になっていた。報道によると、ナショナルトレーニングセンターを誘致しようとしているらしい。トライアスロンの代表クラスが近隣で合宿したことがあるし、国際大会も開かれている。
 この更地を見ながら思い出したのが『マリンガイアスタジアム』だ。これ、マンガに登場した架空のスタジアム。2006年から2007年にかけて連載されたサッカーマンガ『オーレ!』に『サンガイア宮崎』というサッカークラブが登場するのだが、そのクラブの本拠地がオーシャンドームを改造した『マリンガイアスタジアム』だった。これについては、13年前に記事にしているので、まずはこちらを読んでみてほしい。

サンガイア宮崎に驚愕(PC版) (携帯版)

 作者の能田達規氏には「サンガイア宮崎のユニフォームはエストレーラ宮崎FCのを、そのまんま使ったでしょ?」と質問してみたい。怒っているわけではない。当時の自分はうれしかった。そして、マリンガイアスタジアムは「グッドアイデア!」だと思った。
 ちなみに、山之口の陸上競技場構想が持ち上がったとき、能田氏はTwitterでこの話題に触れている。『オーレ!』でマリンガイアスタジアムが登場するときの場面があるので、こちらも見てほしい。

こちら

 どうですか? 本当に、当時の自分は感銘を受けたのである。
 じつは、今も変わっていない。宮崎市にサッカー専用スタジアムを作るなら宮崎駅そば(プールを作る予定地)がベストだろうが、その次はオーシャンドームの跡地が良いのではと考えている。宮崎駅からはバスで15分か20分。すぐ近くにシェラトンホテルがあるし、イオンモール宮崎も近い。駐車場も近隣にはたくさんある。
 しかしまあ、こういうスタジアムを作るなら、マンガの中のサンガイア宮崎のような、3万人のスタンドも満員にしちゃうようなサッカークラブがあればこそ。実現はしないだろう。
横浜F・マリノス vs セレッソ大阪 オーシャンドーム跡地
サッカーを観るなら近いのが一番
 2020年1月28日。セレッソ大阪と徳島ヴォルティスのTMを観に行った。徳島はJ2で上位争いをすると思う。
 会場となった国際海浜エントランスプラザ内にある多目的広場は、試合を間近で観られるのが魅力だ。ピッチの向正面すぐが土手のように高く、高さ4mほどの天然のサッカースタンドになっている。近いだけでなく、高さもちょうど良い。
 県リーグではときどき使っているのではないだろうか。12年半前に、エストレーラ宮崎FCが県1部リーグ優勝を決めたのがここだった。九州リーグ3年目だったテゲバジャーロ宮崎が、ここで試合を開催したこともある。
 選手たちのプレーを間近に観ながら、「陸上のトラックは邪魔物でしかないな」と改めて思った。ここから「陸上競技場はこれ以上いらない」という話に持って行きたいのだが、要はキチンと集客できて活用できるか、である。だから、サッカー専用スタジアムだろうが、アリーナだろうが、客席付きの50mプールだろうが、継続的にスタンドいっぱいに集客して活用できないのなら、作る必要はない。自分はこういう考えである。
 ちなみに、宮崎県水泳連盟の組織図を調べたら、宮崎市を含む選挙区選出の国会議員が会長だった。
国際海浜エントランスプラザ セレッソ大阪 vs 徳島ヴォルティス
テゲバジャーロ宮崎へのある質問
 J.FC MIYAZAKIにも聞きたいが、相手にされないだろうから。

 自分が質問したいことは一点。

 「Jリーグ百年構想クラブの認定申請は済ませましたか?」

 たしか、自分の勘違いでなければ、11月が締切だったと思う。翌年の2月が承認。つまり、テゲバジャーロ宮崎がJFLで4位以内に入って先につなげられるかどうかは、リーグが始まる前にはっきりする。
 テゲバジャーロ宮崎は公式HPのクラブビジョンで「2017年 JFL昇格」「2018年 J3昇格」を掲げている。前者は実現した。では、後者は? 実現させるなら、先月がリミットだったということになる。

 この「百年構想クラブの認定申請を済ませたか、どうか?」を自分はもっとも気にしている。だから、これによって、自分の態度は変わる。

 ちなみに、テゲバジャーロ宮崎もJ.FC MIYAZAKIも2015年シーズンの開幕前に、最短で「2017年シーズンはJ3」と宣言していたはずだ(この件に関しては、J.FCのほうが罪深い。運営法人の条件でアウトだった)。
 ところが、2015年はもちろん、2016年も百年構想クラブの認定申請を行った形跡は見られない。クラブ側が触れることもなかったし、地元メディアが突っ込むこともなかった。自分は、突っ込みたくてたまらなかったのだが。
 クラブ側は、ピッチ内(競技面)の結果だけでなく、ピッチ外(運営面)の結果もきちんと伝えないといけないのでは?

 自分としては、出来もしないことを掲げられることを快くは思わない。個人的には、エストレーラ宮崎FCでの反省があるだけに。宮崎県民やファンに対して、正直であるべきだ。

 というわけで、返答をお待ちしております。
テゲバジャーロ宮崎にバトンをつないだ、MSU F.Cのスタッフと選手たちへの感謝
 先日、エストレーラ宮崎FCとレイさんについて書いた。しかし、よくよく考えると、現在のテゲバジャーロ宮崎とは無関係である。
 さて、テゲバジャーロ宮崎に関心を持ち、応援しているのは「今年から」という方が多いのではないだろうか。そういう方々にこそ、この記事を読んでもらいたいと思う。

 前身のMSU F.Cからテゲバジャーロ宮崎までの歩みを振り返るとき、忘れてはならない人たちがいる。九州リーグという地位を守るために戦い続けた選手たち、そしてクラブを支えたスタッフたちだ。
 これまでに、多くの人たちがクラブに加わり、そして離れていった。彼らがいなければ、テゲバジャーロ宮崎が九州リーグを戦い、JFL昇格という結果を手にすることはなかっただろう。宮崎県内でJリーグを目指すのはJ.FC MIYAZAKIだけだったかもしれない。

(11/30追記)
 この記事をアップした時点で、テゲバジャーロ宮崎の宮崎県庁での発足会見についてのくだりで「この会見に参加していた関係者のなかで、今もクラブに残っているのは柳田代表だけである」と書いていました。しかし、これは誤りです。柳田代表以外にも、広報の方と事務局の方の2名が残っておられるという指摘を受けました。記事を訂正させていただくとともに、ご迷惑をおかけした方々に謝らせていただきます。すみませんでした。
 ちなみに、こういう記事が読まれるのは1人につき1回限りだと思うので、後に訂正したとしても誤った情報が拡散してしまうことが考えられます。気をつけたいと思います。
柳田のドリブル MSU F.C
ミーティング 記念撮影
集合写真 テゲバジャーロ宮崎
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平成29年大相撲夏場所の新番付など(宮崎県出身力士)
 平成29年の大相撲五月場所が、両国国技館で5月14日に始まる。宮崎県出身力士は現在、7人(番付外の1人を含む)。半年間、大相撲にまったく触れていなかったので、各力士の状況についてまとめる。
[READ MORE...]
照屋の私的、2015年プロレス大賞
 東京スポーツがプロレス大賞を発表したので、自分も。

最優秀選手賞(MVP):該当者なし
年間最高試合賞:天龍源一郎 vs オカダ・カズチカ(11月15日・両国国技館)
最優秀タッグチーム賞:土井成樹&YAMATO(DRAGON GATE)
殊勲賞:オカダ・カズチカ(新日本プロレス)
敢闘賞:関本大介、岡林裕二(大日本プロレス)
技能賞:Zack Sabre Jr.(プロレスリングNOAH)
新人賞:該当者なし
特別功労賞:天龍源一郎(天龍Project)
女子プロレス大賞:華名(WWEではASUKA)

 一致するのは天龍がらみと岡林だけ(新人賞の該当者なしも)。東スポのタッグチーム賞なんて「はぁ?」だし、本間のどこが技能に優れていたのだろうか(会場人気は認める)。MVP→殊勲賞→敢闘賞につづく、“4番目の個人表彰”に過ぎないのだろう。

 では、自分の表彰理由を。
 MVPは思いつかなかった。オカダはMVPにふさわしいだけの実力があるのか?……と思ってしまう。ただ、天龍戦は素晴らしかったので殊勲賞を。その天龍戦は、試合を観た後に弟に「これがベストバウトかもよ」と予言していたら、当たってしまった。
 タッグチーム賞は、優れたチームが多い団体で一番活躍したタッグを。延岡でタイトルを防衛したし。関本と岡林は、天龍引退興行のセミで大活躍したから(諏訪魔と藤田はワースト部門の敢闘賞)。技能が優れているという点では、Zack Sabre Jr.が真っ先に思いついた。こういうレスラーをプッシュしないNOAHは嫌いだ(PWGのほうが全然上)。
 女子プロレスの華名はWWEと契約したし、NXTでのデビュー戦で鮮烈な印象を残したから。レスリングスキルが段違いなだけに、逆に浮いてしまわないかが心配だ。
 ちなみに、生観戦した大会に限れば、ベストバウトは柴田vs飯伏になる。

 最後に、ワースト団体に全日本プロレスとNOAHを挙げておく。いや、TNAこそワーストか。あんなにも退屈な団体になっちゃうとは……。再戦連発で、タイトルマッチの顔ぶれが変わらない新日本プロレスは、ブッキングがワースト。
誰の応援が欲しいのか?
 九州サッカーリーグに所属している宮崎県の2チーム、しかもJリーグ入りを目指すチーム同士の初めての公式試合が、5月10日に宮崎県総合運動公園サッカー場で行われた。会場には800人以上の観衆が集まり、テレビ3局や知事も訪れるなか、ピッチ上では両チームが劇的かつ白熱した試合を見せて、会場を大いに盛り上げた。上々の初対決だったと言える。
 しかし、ピッチ外には、Jリーグを目指すクラブには似つかわしくない光景があった。それに、自分は強い違和感をおぼえたのだった。
JFCの応援
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後藤騎手を偲ぶ
 JRAの後藤浩輝騎手が2月27日に自らの命を断った。詳細はいろいろと報道されているので、ここでは触れない。たくさんの記事を見ると、競馬関係者もファンも「なぜ?」「残念」という反応が多く、哀しみと驚きの深さを思い知らされる。自分も27日夜にネットで知ってかなり動揺したし、それ以来、晴れない気持ちでダラダラと一日を過ごす日が続いている。

 みんなが彼の死を悲しんでいる。誰も彼のことを悪く言わない。誰にも慕われる人だった。
 自分がゲーム会社で競馬ゲームを作ってった頃の話を一つ。後藤騎手が“木刀事件”を起こした後だった。仕事で後藤騎手に会ったことのある上司に話を聞いてみたら、彼について「凄くいい奴だよ」と話してくれた。それを聞いて、自分は「じゃあ、応援してあげないといけないですね」と答えた。
 自分が退社した後に彼と会った別の先輩も、後藤騎手は「気さくで、めちゃくちゃいい人」と話していた。自分の耳に入ってきたのは、彼のナイスガイっぷりだけだ。

 個人的な、後藤騎手の思い出を一つ。
 2000年11月に東京競馬場で行われた『第1回ジャパンカップダート』。自分は現場で観戦していた。すると、レース前に有力馬のゴールドティアラが放馬したのだ。これに乗っていたのが後藤騎手。ゴールドティアラはただでさえ距離が不安だったのに、放馬後にコースを2周も走ってしまい、当然ながら除外の憂き目に。その後に、ゲストの小田和正が「ゴールドティアラの馬券を買っていた人、御愁傷様です」みたいなことを言って、当時のJRAのテーマソングだった『Woh Woh』を生で歌った……。自分は苦笑いするしかなかったなぁ……。『Woh Woh』は大好きな歌だから、今でもCDを持っている。

 2013年10月の南部杯で、大怪我からの復帰後に初めてG1級を勝ったときの姿も忘れられない。勝利インタビューのいい人っぷりが……。



 どんな理由があろうと、家族を残して、命を断ったというのは許せないことだ。本当に、「なぜ?」と「残念」。ご冥福を祈ります。
テゲバジャーロ宮崎が発足FC! 柳田代表に聞く (番外編)
 インタビュー記事はいかがだっただろうか? 改めて読んでみると、意見のやり取りに終始している箇所が結構あり、もっとアクションプラン(何時までに、何々を、どうする)を引き出せなかったものかと反省してしまう。
 さて、この番外編では、話を聞く側だった自分の考えを述べさせていただく。自分のタニマチや知人は、これを望んでいるようなので……。しかも、激辛なやつを……。
 と、その前に、柳田氏にとって痛い点を突かせていただく。氏は2014年の九州リーグ開幕前に、「各チームが拮抗していて、優勝を狙うチャンス」と新聞紙上でコメントしていた。しかし、結果は上位争いにまったく加われず、残留争いをしての7位である。そういうことがあったので、氏の発言で額面通りに受け取らなかったこと、割り引いて受け取った箇所があったことをお断りしておく。
 また、今回のインタビュー記事をもって、テゲバジャーロ宮崎FCの応援を読者に促す意思は自分には無い。応援するしないは読者の自由で、無視するという選択肢もアリだ。まあ、ここらへんは自分が過去にやらかしたことへの反省である……。
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