照屋の宮崎スポーツblog(略称:てるスポ)
宮崎市在住のフリーライター・照屋による、宮崎県のスポーツサイト。自分の本音を添えて、リアルに伝えます。
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宮崎市在住のフリーライター。高校までサッカー、10年前までムエタイをやっていた。最近は四股50回が日課。

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情熱の特撮系サポーター・レイさん (3)
 エストレーラ宮崎FCサポーター・レイさんのインタビュー。第3回はプロフェソール宮崎のJFL挑戦とクラブの崩壊。レイさんにとって、2002年は苦難の連続だった。
 
≪これまで≫ (PC版) (携帯版)

連敗と監督交代

――さあ、JFLがいよいよ開幕。初戦は2002年の4月7日、西が丘サッカー場です。

 横河電機(現:横河武蔵野FC)とやって、1-1で引き分けだった。しかも、プロフェのゴールは開始30秒ぐらい。アウェイで長木(通憲)が決めたんだよ。僕はこの試合は行けなかったから、熊本でアルエット熊本vsアローズ北陸を見ていたんだけどね。そして、第2戦がホーム開幕戦。

――会場は?

 都農町の藤見運動公園陸上競技場。これが宮崎初のJFLだね。NHKが取材に来てたよ。相手はデンソー(現:FC刈谷)。前半に2点を先制されたけど、長木と山下(一弥)のゴールで追いついて、引き分けた。

――宮崎でのJFLは?

 感慨深かったね、さすがに。

――お客さんは?

 3、400人だったかな。第3節は大塚製薬(現:徳島ヴォルティス)とアウェイで3-3の引き分け。ところが、次の静岡産業大学との試合。小林であったんだけど、0-2で負けてしまった。ここから連敗街道だよ。

――3つ引き分けた後に7連敗でしたっけ。

 延岡の西階陸上競技場で佐川急便東京SCとやった試合(7月7日の第6節)。0-4でリードされて、ボランチに八津川(義廣)が途中(前半37分)から入った。そしたら、佐川東京の攻撃を八津川が1人で止めてね。ニューヒーロー誕生かと思ったよ。失点しなくなったしね。ところが、どういうわけか八津川が(後半37分に)交代させられて、点を取られて0-5で負けてしまった。あの采配には疑問を持ったよ。

――何かあったのかもしれないですけど、よくわからない采配ですね。

 夏場に木花であったソニー仙台FC戦(8月4日の第10節)は、1-0でリードしてたのに、終盤に2点を入れられて負けてしまった。

――嫌な負け方ですね。

 これが連敗最後の試合だったけどね。この後に監督が代わり、ミッドフィルダーだった橋満士郎がプレーイングマネージャーになった。そして迎えた次の試合、京都の亀岡であったFC京都1993戦(8月11日の第11節)。1-0から追いつかれたけど、コーナーキックを途中出場の佐伯周次郎が頭で押し込んで2-1で勝った。

――連敗ストップ、そしてJFL初勝利ですね。連敗しているときはどういう気持ちでした?

 沈んではいたけど、選手の能力は高いものがあると信じていた。絶対にいつか勝てる、と。京都まで他のサポーターと2人で一緒に行ったんだけど、もう大喜び。宮崎に意気揚々と引き揚げたよ。これで息を吹き返したから。橋満はプレーイングマネージャーだったけど、監督に専念するようになった。選手たちで話し合いがあったのかな? 橋満は足を怪我してて、思うように身体が動かなかったみたい。


降格

――天皇杯の県予選は?

 決勝の相手はホンダロック。試合は八津川から南光太にパスがまわり、ゴール前にいた佐伯が頭で山下にパス。これを山下が押し込み、1-0で勝った。周りはプロフェが負けると見ていたけどね。橋満体制で息を吹き返した部分もあったと思う。

――JFLは?

 負けと引き分けを繰り返して11月2日(第16節)、熊本の水前寺でアルエット熊本と対戦した。宮崎からは僕が知る限りのサポーターが足を運んだ。試合は中島(雄太)のゴールで先制したけど、逆転負け。負けたほうが降格だった。

――最終節の1つ前だったんですね。降格は意識していましたか?

 チームは叩かれていたね。降格が決まっていないうちから「プロフェソール宮崎、降格おめでとう」と書かれたり。でも、周りがどう考えようと橋満体制はプロフェに勝利をもたらしてくれたから、僕は希望を持っていた。熊本に負けて降格が決まったけど、まだリーグ戦が残っていたし、天皇杯もあったから、自分の中ではテンションを落としたくなかった。

――……。

 そして、最終節(11月10日)。会場は都農、相手はジャトコ。平塚次郎がいたなぁ。開始前にインタビューを受けたから、「未だにホームで勝っていないので、何があっても勝ち点3を」と答えたよ。前半は0-1。さあ、後半が始まりました。中島のPKで同点。その後、息を吹き返して4-2で勝った。勝ったのはうれしいんだけど、なぜか涙が溢れてきたよ。サポーターみんな。

――これが、JFLでの最後の試合…。

 降格が決まった日は、大分が大宮に勝ってJ1昇格を決めた日だったんだよ。


最後の戦い

――天皇杯は?

 1回戦は木花で吉備国際大学と。前半は0-2で、後半も1点を入れられて0-3になってしまった。でも、このまま終わるかと思っていたら、松永(一慶)が1点を返した。さらに2-3になって、ロスタイムが終わる寸前、庄司(孝)が決めて同点に追いついた。そして、タイムアップ。劇的な同点で盛り上がったよ。延長はVゴール方式。前半は相手の様子を見て、後半、前田(隆)のクロスを松永が決めて勝った。あまりにも劇的な展開に、また泣いてしまったよ。ちなみに、これがエストレーラサポのケンちゃんのデビュー戦。ケンちゃん伝説(応援すると勝つ)はここから始まったんだ。

――へぇ~。次は2回戦。

 会場は新潟市営陸上競技場、相手はアルビレックス新潟。片やJ2の3位、片やJFLの最下位。ネットでは虐殺予告もあったね。

――レイさんは新潟まで行ったんですか?

 行ったよ~!

――暮れの新潟は寒いでしょ。天気もよく変わるし。

 寒かったけど、隣の新潟サポからもらった酒で温めた(笑) これが最後の応援だと思って。はっきり言って押されっぱなしになるだろうと思ってたんだけど、試合内容は互角だった。

――なぜ?

 なんでだろう。こっちが形はできていたと思う。サポーターは新潟の4千人を相手にこっちは14、5人。上田ジェンシャンのサポも応援してくれて、心強かった。後半、寺川のヘッドで1点を入れられてしまう。ロスタイム寸前、前田から佐伯にいいクロスが上がったけど、決めることはできなかった。そして、プロフェの戦いが終わった。気持ちとしては不満はあったけど、苦しいなかで選手みんなが最後まで戦ってくれたことに対する感謝の気持ちでいっぱいだった。そして、僕たちの力不足。選手に何もしてやれなかった申し訳なさ、順調に上がってきた階段をまた1つ下りなきゃいけなくなった無念さで胸がいっぱいになった。


崩壊

――プロフェソール宮崎の問題が表立ったのはいつですか?

 天皇杯が終わってから、橋満が記者会見を開いた。

――JFL年会費の未払いとか、秋の時点で知れ渡っていたみたいですね。レイさんがチームの問題を耳にしたのは?

 第3節があった日(4月21日)、宅配ピザを注文したんだよ。届けに来たのがなんと、遠征に行かなかった選手。

――ビックリするシチュエーションですね…。

 彼が言ったんだよ。「遠征に行く金はあるんですかね」って。「どういうこと?」と聞き返したら、「今、ウチはお金ないんです」と。そこで「あれ?」と思った。

――じゃあ、かなり早い段階でまずい状態だったんですね。世間は?

 橋満が会見を開いて、そのときに知れ渡った。「代表が代表として動いていなかった」と。

――具体的には?

 JFLの代表者会議とかに、代表の代わりに橋満や運営スタッフが行っていたんだよ。自腹で。チームからはお金が出なかった。

――それは酷い。遠征費は?

 運営スタッフの貯金とか。熊本のときは選手たちが自分たちの車で行った。監督としての給料も出ていなかったみたい。

――……。

 僕も薄々感じていたから、見学に行くときはなるべく、果物とかジュースとかテーピングとかスプレーとか、自分の出せる範囲で持って行くようにしていた。

――寄付ですか?

 そうだね。

――会見を聞いて、どう思いました?

 監督がすべてを話してくれたから、何も思い残すことはなかった。

――チームが無くなっても?

 僕としてはプロフェが無くなっても、後釜のチームができればというのがあった。僕の願望でもあったし、天皇杯が終わった後に新潟サポから「このチーム、なんとか残すことはできないのか」と声をかけてもらったから。解散させるにはあまりにも惜しいし、影も形も無くなったらね…。

――周囲の反応は?

 新潟との試合はNHKで中継された。そのとき、アナウンサーが「プロフェソールとしての戦いは最後です」と言った。メディアもチームが無くなるという認識はあった。サポーターのなかでは「完全に無くなれ」という雰囲気もあった。

――まあ、それはしょうがないでしょう。ただの降格じゃないんだから。

 そんな矢先、とある掲示板で「サン宮崎」という一言の書き込みがあった。2003年の初めに。「なんのこと?」と思った。

≪つづく≫ (PC版) (携帯版)


補足

【2002年のJFL】
 この年は18チームによる1回戦総当り方式。17位と18位が自動降格、15位と16位が入替戦という厳しい条件だった。プロフェソール宮崎は開幕から3つ引き分けるも、次からは7連敗。第11節でようやく初勝利を挙げる。しかし、この後も勝てない試合が続き、最終節を待たずに降格が決定。最終節がホーム初勝利だった。成績は2勝5分10敗(得点20・失点40)。最下位だった。

【プロフェソール宮崎の不祥事】
 プロフェソール宮崎は早い段階で財政が逼迫していたためか、JFLの加盟金1000万円は未払いのまま。橋満監督の会見によれば、選手契約も履行されていなかった。JFLの会議等は監督やスタッフが自腹で行くしかなかった。
この記事に対するコメント
そういえば
前にプロフェからサン宮崎に入った、戸高研太選手はどこにいると?
【2007/07/06 22:24】 URL | 小田急 #HbCZpky6 [ 編集]


去年までは中国リーグのFCセントラル中国に在籍してました。今年はわかりません。
【2007/07/07 16:27】 URL | 名鉄 #- [ 編集]


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