照屋の宮崎スポーツblog(略称:てるスポ)
宮崎市在住のフリーライター・照屋による、宮崎県のスポーツサイト。自分の本音を添えて、リアルに伝えます。
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エストレーラ宮崎FCが解散
 宮崎県サッカー1部リーグに所属していたエストレーラ宮崎FC(プロフェソール宮崎FC→サン宮崎FC)が、2009年のシーズンをもって解散した。県1部リーグには、参加の権利を引き継いだ『宮崎産業経営大学FC』が新たに加わる。
 Jリーグを目指すという言葉を自分は信じていたものの、1年半前にエストレーラと決別していた。この解散を伝えるエントリーが、エストレーラについて書く最後の記事になる。
 
【11年の歴史】
 プロフェソール宮崎FC(Profesor Miyazaki FC)は、宮崎教員団を母体に1999年、Jリーグを目指すチームとして発足。県2部リーグ、県1部リーグ、そして九州リーグと順調にステップアップして、宮崎県勢として初めての九州リーグ優勝とJFL(日本フットボールリーグ)昇格を果たした。
 しかし、フロントが正常に機能せず、様々な問題を抱えたチームは最下位に終わり、わずか1年でJFLから降格。2003年からはチーム名を『サン宮崎FC(Sun Miyazaki FC)』に変えて再スタートを切ったものの、九州リーグでの順位は年を追うごとに後退し、2005年に最下位となって県リーグに降格した。
 サン宮崎FCは“Jリーグ参入”という目標そのままに、1年での九州リーグ復帰を掲げて県1部リーグに臨んだ。しかし、結果は5位。存続の危機を乗り越えたチームは、チーム名やイメージカラーを一新して『エストレーラ宮崎FC(Estrela Miyazaki FC)』として再出発すると、県内では屈指のレベルだった選手たちの活躍に支えられて、県社会人選手権と県1部リーグの二冠を達成。チームは6年ぶりに勢いを取り戻したかのように見えた。しかし、九州各県リーグ決勝大会でまさかの初戦敗退。九州リーグ復帰は失敗に終わった。
 2年目はMSU F.Cという新勢力の台頭に苦しめられ、他のチームにも勝てなくなり、チームは迷走状態に陥る。翌2009年は県社会人選手権と県1部リーグで準優勝したものの、優勝したMSU F.Cとの差が広がっていること、チームの活力が低下していることは誰の目にも明らかだった。
 そして2010年3月、エストレーラ宮崎FCは解散。プロフェソール宮崎から11年続いた歴史の幕を閉じた。

【解散の原因】
 解散の噂は昨年11月から耳にしていた。当事者から話を聞いていないので、推測の域を出ないけど、解散の原因は“選手がそろえられなかったこと”と“資金の行き詰まり”ではないかと思う。
 選手数については、エストレーラの2年目から厳しくなった。7人や9人で試合をするというのは、県リーグ時代のサン宮崎ですらなかったことだ。3年目には選手が何人も退団し、その一方で新入団はシーズン途中の3人にとどまった。ベストメンバーはなかなか組めず、リーグ最終戦にいたっては9人だった。その後はさらに選手が減って、入団のあてもなく、11人以下になっていたのではないだろうか。
 多いときに3つあったユニフォームのスポンサーは、3年目は1つだけになっていた。資金については、詳細は伏せさせてもらうけど、「○○○が支払われていない」という話をいくつか耳にしていたし、1つについては(少しだけ)自分が動く羽目になった。「プロフェと同じ」と呆れたこともある。台所事情は苦しかったはずだ。
 運営に苦労しているのは、県リーグのどのチームも同じだと思う。しかし、守るものを守り、先輩から後輩へと引き継ぐことで、チームの歴史は重ねられている。それがチームの伝統(歴史的な存在感)になっている。エストレーラはこれが欠けていたのだろう。“Jリーグを目指す”というお題目を失っては、崩れるしかなかったのかもしれない。

【決別の理由】
 「宮崎県にJリーグを」という理想に共感し、宮崎に根付く市民クラブの誕生を願っていた自分は、2005年8月からサン宮崎を応援するようになり、このブログを通じて情報を発信しつづけた。しかし、2008年8月をもって決別した。その記事の反響は大きく、コメントは(自分のも含めて)16も付いたし、拍手は53まで伸びた。
 自分は「Kyuリーグ昇格は難しい、Jリーグなんて無理」と判断した。そういう判断を下したのは、クラブとチームの動かし方に問題があるのに動かす側が変わらないから、目標を達成するための根本的な問題が解決されることはない――つまりは、いつまでたっても成果は得られないと悟ったからだった。Jリーグのチームなら、社長や監督が交代するのに。どれだけのことが達成されたかは、過去のインタビュー等を読んで確認してほしい(例:年内にNPOにする→実現せず)。
 選手は意欲があったし、能力もあった。Kyuリーグに上がるために移籍してきた選手もいたし、県外からやってきた選手もいた。そんな選手たちがやる気を失っていったことも、自分の心を動かした。
 他にも不満は積もり積もっていた。今振り返れば、佐賀の大会直後に決別してもよかった。それだけの理由があの大会とそれまでの2ヶ月間にあったし、負けたあとの夜に直接聞いた。
 プロフェからの11年間の歴史を振り返るに、このクラブは人に恵まれなかったんだなと思う。

【感謝と反省】
 決別することにはなったけど、エストレーラ宮崎FC(サン宮崎FC)、そしてチームに関わった人たちには凄く感謝している。サン宮崎がなければ、サッカーから一度離れた自分が、ここまでサッカーに関わることはなかった。地元にチームがあることの大切さなど、多くのことを教えてもらった。いろんな人との接点も生まれた。
 喜怒哀楽も含めて、どれもがいい思い出だ。2007年は本当に楽しかった。県社会人選手権で優勝したときの監督の涙、県リーグで優勝したときのみんなの笑顔は忘れられない。敗れたとはいえ、佐賀の各県決勝までの、チーム一丸となって向かう姿勢にはワクワクさせられた。本当に感謝している。だから、「おつかれさまです」と言いたいし、選手やスタッフにはこれからもそれぞれの道で頑張ってほしい。
 と、同時に、自分自身に関しては反省すべきことが多い。客観的な視点や人を見る目は養わないといけない。「NO」と言うときは、はっきり言わないといけない。“単なる理想”を垂れ流してもいけない。他にも得た教訓を、今後は活かしていきたい。

【レイさん】
 サポーターであるレイさんとの出会いも、自分にとっては大きなものだった。サッカー以外でもお付き合いさせてもらって、多くのことをともに楽しませてもらった。レイさんへの感謝の言葉は尽きない。
 そんなレイさんにとって、辛い結末になってしまった。あの太鼓やチャント、特撮やアニメの替え歌を聴くことができないのは寂しい。
 ただ、自分もレイさんも、思い出に浸りながら生きていくには、残りの人生はまだ長すぎる。だから、お互いに何かしらの生きがいを見つけて、楽しんでいきましょう。
この記事に対するコメント

代表や監督がいたからここまで存続できたのでは
不満があったのなら、その時、直接言うべき
あとになって、言うのはちょっと違うと思う

照屋さんのエストレーラの記事が楽しみでした
ワクワクする記事、ありがとうございました
【2010/03/30 00:02】 URL | ドラゴン #- [ 編集]

お詫びを・・・
照ちゃん、こちらこそいろいろありがとう。
謝りたい人たちがいるのでカキコませて下さい。
2002年の天皇杯で戦い終わった後でチームが存続するようにと声をかけてくださった沢山のアルビレックス新潟のサポーターの皆さん。2005年のリーグ戦で降格が決まった我々に「必ず(九州リーグに)戻ってきてください!」と呼びかけてくれた佐世保で戦ったVファーレン長崎のMCさん、サポーターの皆さん。そして、チームの復興を誓ったダイスケを始めとした元プロフェ、サンの選手の皆さんなど、こんな結果になってしまってすみませんでした。
残念ながら、宮崎県内においては私が応援できる選手はいても、応援できるチームがなくなりました。しかし、これからも私は神戸、柏、大分、熊本、加古川のサポーターとして前記した新潟、長崎を始めとする色んなカテゴリーのチームとの戦いを重ねてゆくことと思います。

一緒に戦った選手、スタッフ、協力者の皆さん、今までありがとうございました。
これからの皆さんの活躍に期待しています。
このチームは宮崎市に拠点を置き、チーム名に「宮崎」を入れていた。
だから、「ミヤザキ」コールを叫んだ。
宮崎の人間として最後までこのチームで戦えたことは本望だった。
このチームの背番号12だったことは永遠の誇りです。





【2010/03/30 01:18】 URL | レイ #- [ 編集]

ありがとうございました
お疲れさまでした。
解散になってしまったんですね。
下部リーグで存続し続けていくことは、とても難しいことですね。
プロフェソール宮崎、サン宮崎、エストレーラ宮崎と
『宮崎』という名前は付いているけれど
県民に深く認知されるには遠く及ばず・・・
いろいろな迷走もありましたし。
それでも、私もこのチームには感謝しています。
関わった選手みなさん全員にもありがとうと伝えたいです。
スポーツに関心のうとい宮崎で
宮崎の名を背負って戦ってくれた・・・それだけでもありがたいことです。

照屋さんもレポートなど、ありがとございました。
私もとても楽しみに拝見させていただいていました。
【2010/03/31 20:37】 URL | むつこ #- [ 編集]


>ドラゴンさま
3、4年持てばいいというものではなかったので。
「しょうがない」や「しなくていい」で済まされたことがあるので、直接言ったとしてもどうだったかなと思います。
ドラゴンさんも、いろいろなコメントありがとうございました。

>レイさん
土曜日はありがとうございました。
笑顔で一区切りつけることができてよかったと思います。
りゅうぞうの前向きな姿勢、レイさんの明るさには励まされました。
あいつと応援合戦したかったですね。本当に。

>むつこさん
こちらこそ、おつかれさまでした。
むっちゃんさんも、広報などで凄く貢献されたと思います。
あのチームが宮崎県におけるパイオニアだったことは事実だし、
チームに共感して一緒に歩んだ人たちがいたことは忘れません。
散々なこともあったけど、2006年と2007年は本当に楽しかったです。
ありがとうございました。
【2010/04/04 20:56】 URL | 照屋 #/ULP3HG6 [ 編集]


ところでブルノスってチームは活動してるのですか?
【2011/05/29 16:52】 URL | 背番号774(名無し #- [ 編集]


先のコメントでも書いたとおり、地区リーグの情報は把握していないので、
そのチームに限らず、県リーグにいないチームのことはわかりません。
【2011/05/31 23:55】 URL | 照屋 #/ULP3HG6 [ 編集]


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