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第35代木村庄之助が引退 |
大相撲において、立行司は行司の最高位である(周囲からは「親方」と呼ばれる)。力士に例えれば横綱で、木村庄之助が東、式守伊之助が西の横綱にあたる。戦後生まれとして最初の、そして宮崎県出身としても最初の立行司となった第35代木村庄之助が65歳の定年を前に、2011年の大相撲秋場所で引退した。 本名は内田順一で、延岡市出身の1946年10月29日生まれ。立浪部屋に入門し、1962年夏場所で初土俵を踏んだ。 2007年夏場所に第37代式守伊之助となり、1年後には第35代木村庄之助を襲名した。庄之助は結びの一番だけを裁く。庄之助としての最初の一番(朝青龍vs稀勢の里)では、宮崎県の県章と延岡の文字をあしらった装束をまとった。現役最後の一番となった白鵬vs日馬富士も、装束の模様は同じだった。弓取式の後には花道で白鵬から花束を贈られ、優勝パレードではオープンカーに同乗した。 郷土への愛情を強くにじませていた庄之助は、2008年5月に延岡市の観光大使に任命され、2011年9月には宮崎から県民栄誉賞が贈られることが発表された。2010年には、口蹄疫問題で揺れる宮崎県に100万円の義援金を寄付していた。 庄之助の引退で、宮崎県出身の行司は、宮崎市出身の木村行宏(玉ノ井部屋)だけとなる。現在は幕下格であるものの、九州場所からは十両格に上がると思われる。
【参照サイト】 第35代木村庄之助(Wikipedia)、宮崎県県民栄誉賞の授賞について(宮崎県)
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