照屋の宮崎スポーツblog(略称:てるスポ)
宮崎市在住のフリーライター・照屋による、宮崎県のスポーツサイト。自分の本音を添えて、リアルに伝えます。
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テゲバジャーロ宮崎にバトンをつないだ、MSU F.Cのスタッフと選手たちへの感謝
 先日、エストレーラ宮崎FCとレイさんについて書いた。しかし、よくよく考えると、現在のテゲバジャーロ宮崎とは無関係である。
 さて、テゲバジャーロ宮崎に関心を持ち、応援しているのは「今年から」という方が多いのではないだろうか。そういう方々にこそ、この記事を読んでもらいたいと思う。

 前身のMSU F.Cからテゲバジャーロ宮崎までの歩みを振り返るとき、忘れてはならない人たちがいる。九州リーグという地位を守るために戦い続けた選手たち、そしてクラブを支えたスタッフたちだ。
 これまでに、多くの人たちがクラブに加わり、そして離れていった。彼らがいなければ、テゲバジャーロ宮崎が九州リーグを戦い、JFL昇格という結果を手にすることはなかっただろう。宮崎県内でJリーグを目指すのはJ.FC MIYAZAKIだけだったかもしれない。

(11/30追記)
 この記事をアップした時点で、テゲバジャーロ宮崎の宮崎県庁での発足会見についてのくだりで「この会見に参加していた関係者のなかで、今もクラブに残っているのは柳田代表だけである」と書いていました。しかし、これは誤りです。柳田代表以外にも、広報の方と事務局の方の2名が残っておられるという指摘を受けました。記事を訂正させていただくとともに、ご迷惑をおかけした方々に謝らせていただきます。すみませんでした。
 ちなみに、こういう記事が読まれるのは1人につき1回限りだと思うので、後に訂正したとしても誤った情報が拡散してしまうことが考えられます。気をつけたいと思います。
柳田のドリブル MSU F.C
ミーティング 記念撮影
集合写真 テゲバジャーロ宮崎
 
 当ブログの記事で、MSUについての主だったものをピックアップしながら、当時を振り返ってみよう。

県1-2部リーグ入替戦 (PC版) (携帯版)

 宮崎県2部リーグの1チームに過ぎなかった『Andiamo門川1965』が、宮崎産業経営大学サッカー部の二軍である『MSU F.C』に変わったのが2007年。MSUとは「Miyazaki Sportsman United」の略だったが、「Miyazaki Sankei University」に合わせていたのは明白。セカンドユニフォームは、産経大サッカー部と同じデザインだった。
 この記事は、MSUが入替戦で勝って、県1部リーグ昇格を決めたときのもの。メンバーは、学生と社会人の混成チームだった。

MSUの挑戦 (前編) (PC版) (携帯版)
MSUの挑戦 (後編) (PC版) (携帯版)

 2009年に行った、柳田代表兼監督へのインタビュー。この記事、Wikipediaとかで元ネタにされている。この時点で、「Jリーグに参入したい」という意志を柳田代表は持っていた。

Kyuリーグ昇格 (PC版) (携帯版)

 2008年と2009年の県1部リーグを優勝したMSUは、2度目の挑戦で九州リーグ昇格を決めた。勝因は、産経大サッカー部の一軍メンバーなど13名を加えていたから(準優勝に終わっているのは、県リーグ仕様のメンバーで決勝を戦ったから)。自分としては、この補強は自然なものに思えた。大学とつながりのあるチームなのだから。
 しかし、じつは舞台裏で、ある“思惑”がうごめいていたことを後に知ることになる。その“思惑”は結局は実現せず、MSUは宮崎県のチームとして九州リーグに参戦することに。鹿児島ではFC KAGOSHIMAというチームが誕生し、エストレーラ宮崎FCは解散となった。そのエストレーラの県1部リーグ参戦権を受け継ぎ、産経大サッカー部の二軍である『宮崎産業経営大学FC(後のJ.FC MIYAZAKI)』が発足した。

新生MSU、いざKyuリーグへ (PC版) (携帯版)
生き残りを賭けて (PC版) (携帯版)

 MSUにとって気の毒だったのは、九州リーグ参戦を決めながら、(産経大とのつながりが切れたことで)戦力の低下を余儀なくされたことだった。産経大や九保大のOB、旧MSUの出身者などでメンバーを構成したものの、リーグ戦は苦戦の連続。それでもなんとか、「残留」という結果をつかむことができた。
 このとき、中心選手としてMSUを支えたのが、エストレーラ宮崎FCの解散後に加入した加藤賢。九州INAXで九州リーグを経験していた彼の存在は非常に頼もしくもあったし、うれしくもあった。

明るい未来が見えません (PC版) (携帯版)
Kyuリーグの裏天王山 (PC版) (携帯版)

 2年目の九州リーグも苦戦続き。鹿児島では、ヴォルカ鹿児島にケチョンケチョンにやられたなぁ……。よく残留できたと思う。

第40回九州サッカーリーグ入替戦の結果 (PC版) (携帯版)

 3年目はさすがに持ちこたえられず、ブービーで入替戦へ。そして、中津クラブ(現在のFC中津)に1-4で完敗。呆れ果てた自分は、レポートにせず、結果報告で済ませた。
 しかし、チームは1年で九州リーグ復帰を決める。再挑戦した九州リーグの結果は7位で、相変わらずの下位争いだった。

テゲバジャーロ宮崎FCが宮崎県庁で発足会見 (PC版) (携帯版)

 2015年1月、宮崎県庁で『テゲバジャーロ宮崎』の発足会見を行い、「Jリーグ参入」に向けての意志表明を行った。「Jリーグ参入」を先に表明していたJ.FC MIYAZAKIの九州リーグ昇格が引き金になったのだろう。

KYUリーグで11年ぶりの宮崎県勢対決 (PC版) (携帯版)
テゲバジャーロ宮崎 vs F.C.那覇 (PC版) (携帯版)

 1年目のメンバーは、MSUのメンバーに産経大の出身者や鹿児島ユナイテッドFCセカンドからの移籍組、ホンダロックSCのOBを加えた構成。しかし、結果は無冠。
 ある試合で、ベンチから怒声を飛ばす柳田監督に、某選手がキレて「うるせー! 黙ってろ!!」と返したのは、今なら笑える思い出。自分も、その選手と同じことを思っていたから。

2016年のテゲバジャーロは大丈夫なのか? (PC版) (携帯版)

 2年目のシーズンを迎えるにあたっての記事。自分、ボロクソに書いてるな……。この時点で、産経大のOBやMSUから関わってきた選手、スタッフたちが軒並み去った。
 しかし、この翌年にチームは変貌し、JFL昇格を果たすことになる。


 いかがだろうか。振り返ってみると、MSUというチームにはガッカリさせられることが多かった。天皇杯の県予選は、ほとんど初戦負けだったし。MSUの選手やスタッフは、自分よりもはるかに苦しい思いをしていたことだろう。
 それなのに、自分は冷や水を浴びせるような記事ばかりを書いていた。酷いな……。鹿児島や唐津に帯同させてもらうこともあったのに。柳田代表にも、かなりお世話になっていたはずなのだが……。“恩を仇で返す奴”とは、自分のことだ。

 県1部リーグで優勝した2008年から、J.FC MIYAZAKIが九州リーグ昇格を決める2014年までの7年間。MSUは“宮崎県のトップクラブチーム”として、宮崎県の社会人サッカーを引っ張った。九州リーグに在籍したのは4シーズン。一度は降格したものの、たった1年で復帰したのは見事だった。“反則級の補強”で昇格した1回目よりもずっと価値がある。選手やスタッフたちを讃えるしかない。

 その一方で、このクラブには多くの人たちが関わり、そして離れていった。それぞれがどういう理由で去ったのか? 自分は知らない。現在のテゲバジャーロ宮崎と柳田代表に対して、どういう思いを抱いているのかも知らない。
 自分が見ていた選手は、チームがレベルアップしていくなかで出場機会を失い、チームメートがガラリと変わっていくなかでモチベーションを落として、チームを去った。仕事が理由の選手もいただろう。現在は、ジュニアのサッカークラブを率いている人もいる。
 Jリーグを目指すとなると、それなりの速度で強化をしていかないといけない。当然ながら、選手を入れ替えていくことになる。今シーズンのテゲバジャーロ宮崎も、多くの選手がチームを離れることになるのではと思う(JFLの開幕まで100日ほどしか猶予がない)。
 サン宮崎FCの頃から自分が思っていることだが、チームを離れる選手は功労者なのだから快く送ってあげたいし、選手には「このチームにいてよかった!」と思ってほしい。冷たいやり方は好きではない(などと言いながら、自分は正反対のことも平気で言う)。

 テゲバジャーロ宮崎のJFL昇格を決めたのは、ピッチ上で戦った選手や、指揮した監督、裏で支えたスタッフたちだ。ただ、JFL昇格という結果にたどりつくまでの約10年間、このクラブに関わってきた多くの人たちがいることを忘れないでほしい。

 最後に。皆さん、ありがとうございました。あと、酷いことばかり書いて、ごめんなさい。
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