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産経大初のJリーガー・内間安路
 宮崎産業経営大学からJ2のサガン鳥栖に入団する内間安路(うちまやすみち)。内間選手は沖縄県出身としては10人目のJリーガーであり、産経大からは初めてのJリーガーとなる。じつは内間選手、入学する前は大学でサッカーをやるつもりはなかった。それが4年間でどう変わったのか? 12月26日、宮崎市内で内間選手に生い立ちから将来のことまで語ってもらった。
内間安路

 
Jリーガーになる喜び

――サガン鳥栖入団、おめでとうございます。最初に聞いたときは、どういう気持ちでした?

 12日から14日まで練習して、16日にオファーを受けたんですけど、正直言ってうれしかったです。

――地元のほうは?

 連絡はありました。

――沖縄タイムスとか琉球新報とか、地元の新聞でも大きな記事になってましたね。

 宮日(宮崎日日新聞)も大きかったです(柳田コーチが横で「三都主移籍よりでかかった」)。

――家族は?

 かなり喜んでました。

――産経大のチームメイトは?

 後輩が特に「おめでとうございまーす」と喜んでくれてます。何名かは「自分もプロになります」と言ってくれました。


沖縄での18年間

――では、内間選手の生い立ちから聞かせてください。生まれは1984年9月10日、出身は沖縄県沖縄市。身長は180cm、69kg。高校までの学歴は?

 高原小、美東中、北中城高です。

――サッカーを始めたのは?

 小5のときです。友人に誘われて。小学校は何でも興味があったんで、いろいろ遊びでやってました。

――入ったチームは高原FC。今はもうないみたいですけど。

 部員がいなくなって。小学校は野球ばっかりで、サッカーより多かったですね。

――ポジションは?

 一番最初はキーパーです。身体がでかかったから。でも、1年もしないで変わりました。面白くなかったんで(苦笑)

――高校のときは沖縄県選抜にも選ばれてますね。

 高3だけです。試合も出ました。

――北中城は沖縄ではどういうポジションのチームでした?

 県で良くてベスト8。1回戦は勝つけど、ベスト4にはなかなか行けなかったです。

――内間選手のポジションは?

 一番最初はフォワードをやって、すぐにディフェンスに戻りました。

――高校時代の恩師は、今は那覇西の松田邦貴監督。

 1年のときが松田監督で、1年間見てもらいました。

――高校のときはどういうプレイヤー?

 今と変わらないです。無理がきくようなプレイヤー。怪我が多かったです。1年の後半に新人戦でベスト4に入ったんですけど、股関節を痛めて1年間満足にプレーできませんでした。

――3年のときは?

 県選抜に選ばれたのは自信になりました。でも、燃え尽き症候群じゃないですけど、満足してしまって。松田監督に「サッカーの特待生で大学に」と言ってもらったんですけど、曖昧にして断りました。


宮崎での4年間

――沖縄からどうして宮崎に?

 サッカーよりも教員免許を取りたかったし、産経大は新しくて面白そうだなと思って。

――サッカー部にはなぜ?

 たまたま、与勝から来た比嘉くんと卒業した後に会ってて「面白そうだからやろう」と誘われました。

――ということは、サッカーをやったのは比嘉くんのおかげ?

 誘いがなければ、やってなかったですね。

――入ったときのサッカー部は?

 2部リーグでした。

――初めての宮崎は?

 思ったよりも何もないなぁと(苦笑) 時間の流れがゆっくりで、人もあったかい感じで住みやすい。慣れるのに時間はかからなかったです。

――宮崎弁は大丈夫でした?

 「〜こっせん」とか「よだきい」とか、「え?」という感じで。

――沖縄弁は? 自分は親戚同士が話すネイチャーの沖縄弁はまったく分かりませんでした。

 お爺ちゃん、お婆ちゃんの会話はサッパリです。

――サッカー部に入ったときはどういう気持ちでした?

 自分のなかでは「2部だけど、サークル的な感じだろ?」という気持ち。入ったらビックリしました。最初はシュート練習で脚つって。最初の1、2週間は1人で外を走ってました。よく4年間続きました。

――やめようと考えたことは?

 一番最初に思ったけど悔しかったし、国体に選ばれたこととかみんな知ってたんで。負けず嫌いだから。

――サッカーをやるつもりはなかったのに、やる気になってしまったと…。

 高校を引退して10月から半年間、サッカーをしてなかったんですけど、再びサッカーに火が点いてしまいました。

――試合に出れるようになったのはいつ頃?

 1年の途中から出れるようになりました。入替戦か何かで、見てるだけだったんですけどベンチに入って。

――ポジションは?

 ディフェンスです。

――特待生にライバル心とか持たなかった?

 ライバル心というか何というか、鹿実とか全国を経験してる奴らよりは上手くなりたい、抜かれたくないというのはありました。

――自分が成長してるという手応えはありました?

 1回もないですね。未だにわかんないです。笛さんとか柳田さんから、昨年ぐらいに「Jリーグに行ける」と言われてはいたんですけど、自分の中では…。

――練習で求められたことなどは?

 練習中に細かいことはしてきたし、「もっと上を目指せ」と言われ続けました。

――九州大学リーグはどうでした?

 レベルは産経大とは変わらないです。ウチは経験が足りないというか若い。内容で完敗という試合はないです。昨年の1部の試合もそうだったけど、福大と1点差とか。

――今年は?

 天皇杯で全国というのが目標で、達成することができました。あとは、九州リーグで3位に入って全国に行きたかったです。

――天皇杯の決勝では大きな怪我(左眼底骨折)をしてしまいました。

 自分のなかでは「このタイミングで怪我か」と。でも、怪我のことで気持ちが落ちることはなかったし、卑屈になることもなかったです。そこらへんは適当なのかも。


特別指定と教員免許

――夏には大分トリニータの特別指定選手になりましたね。

 6月から定期的に練習に行ってて、7月までずっと大分にいました。それが終わって、強化指定に入りました。でも、タイミング悪く怪我してしまって。特別指定に入ったら、月の3分の1は練習に参加しないといけないんですよ。それができなくなって、切れました。「何もせずに終わっちゃった」というのが正直なところです。でも、そこでやったことで、初めて「できるかな」と感じました。

――試合は?

 サテライトの試合に出ました。最初の試合は3バックの右をやったんですけど、前半ガチガチでマークがずれて失敗しました。

――4年間の大学サッカーに点数をつければ何点?

 75点ぐらい。

――25点足りないのは?

 まだまだできることが多かったので。3年のときは練習できなかったし、怪我も多かったんで。

――勉強のほうは?

 教員免許を修了しました。

――実習は?

 母校で。科目は情報と商業。最初は大変でした。挨拶するとき、生徒の反応がとてつもなく薄くて。こっちは気合入れたのに、あっちは「なんだこいつ?」って感じで。でも、コミュニケーションも取れて楽しかったです。


サガン鳥栖

――サガン鳥栖に入団する心境は?

 やりがいがあります。向上心のあるチームだと思います。

――選手とは顔を合わせました?

 何名か会いました。練習が終わったときに。ピリピリムードじゃなかったです。

――サガン鳥栖への印象は?

 頑張る選手が多いですよね。スーパーな選手はいないと思う。逆にこっちが頑張らないと、置いていかれるでしょう。スタッフもいい人ばかりです。

――鳥栖スタジアムには行きました?

 (顔をパッと輝かせて)すっごくいいです! 試合はしたことあるんですよ。

――鳥栖市は静かな町で、駅舎は正直言ってボロイのに、近くに凄いのが建ってますよねぇ。大勢の観衆の前で試合をすれば、また違ったものでしょうね。

 早くピッチに立ちたいです。鳥栖でよかったと思います。向上心を持てるから。


目標と夢

――これからJリーグでやっていくにあたって不安は?

 ないです。どこに行っても何とかなるだろうという考え方なので(苦笑)

――内間選手のセールスポイントは?

 スピードと身体能力……かな。

――理想の選手は日本人なら誰?

 浦和の坪井選手。

――海外なら?

 イタリアのカンナバーロですね。

――2007年の目標は?

 スタメン定着ですね。チームとしては上(J1)に行く。

――J2は1シーズンで48試合という過密スケジュールですけど、これはどう?

 48試合というのは経験したことはないです。週に2試合とか入ってきますよね。身体のコンディショニングに気をつけたい。怪我をしないように。今よりも高い意識を持ちたいです。

――内間選手の夢は?

 やるからには、代表まで行きたい。我那覇さんの後に続けるように。

――鳥栖のサポーターに向けて一言。

 しっかりチームの力になれるように頑張ります。

――産経大の後輩に向けて。

 みんな可能性は持ってると思うので、高い目標を持って、上にあがってきてほしい。

――天皇杯で産経大と対戦する日が来るかも。

 はい。母校とやりたいし、勝てるようにします。


あとがき

 内間選手と話しながら持った印象は「真面目」「しっかり者」「負けず嫌い」「向上心が強い」。沖縄出身らしく(?)、お気楽さも感じた。お気楽だからこそ、同郷の比嘉くんに誘われるがままにサッカー部に入部したのだろう。そして、持ち前の負けず嫌いが心に火を点け、強い向上心がプロへの道を駆け上がらせた。2005年の天皇杯決勝(ホンダロックSCに大敗)など、悔しい経験も大きな糧になったようだ。
 産経大の笛監督や柳田コーチは、内間選手のことを「無印」と言っていた。その彼が、産経大の4年間で成長してくれた。これは大きな喜びであり、誇りであり、そして自信になる。後輩たちにとっては刺激になるだろう。
 サガン鳥栖は昨年が4位だから、今年はJ1昇格に向けた勝負の年になる。内間選手に対する、即戦力としての期待は大きいようだ。自分自身と一緒にチームを上げて、そしていつかは夢を叶えてほしい。楽しみにしている。
水永と内間 競り合い

【SPECIAL THANKS】
産経大・柳田コーチ、Andiamo門川1965
この記事に対するコメント
ありがとうございました!
お久しぶりです!
Andiamo門川・広報の福留です。
内間君の記事楽しみにしていました!
今後ともよろしくお願いします。
【2007/01/11 17:41】 URL | ふくどめ #- [ 編集]

福留様
記事、遅くなってスミマセン。
こちらこそ、インタビューのときはありがとうございました。
今後もよろしくお願いします。
【2007/01/11 20:19】 URL | 照屋 #/ULP3HG6 [ 編集]


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